Ads by Google
新しい記事を書く事で広告が消せます。
砂漠に嵐、吹き荒れて
というわけで、さっそく一問目から行ってみましょう。
学問四文字
1991年の湾岸戦争で、
多国籍軍がイラクを空爆した
作戦は『○○○○作戦』?
狐 鷹 剣 嵐 空 の 漠 鷲 爆 砂
学問四文字
1991年の湾岸戦争で、
多国籍軍がイラクを空爆した
作戦は『○○○○作戦』?
狐 鷹 剣 嵐 空 の 漠 鷲 爆 砂
うーむ、わからん。
この問題と遭遇したのは予習の第一問目だったのですが、
のっけから鋭いジャブをロマノフ先生も放ってくれるものです。
砂漠のなんとかだったかな?最後の一文字はなんとなくそれっぽい動物でも選んでおくか。
それ、「砂漠の狐」
ロマノフ曰く
間違いじゃ。
酷いや、ロマノフ先生。
ここからは数十行は読み飛ばしてもらっても構いません。
何せwikipedeia先生の言ってることの転載みたいなものですし、間違っている箇所もあるかもしれません。
答えは最後のほうに簡潔なまとめとして書いておきます。
さて、改めてこの湾岸戦争から見直していきましょうか。
時は1990年。それは突然の侵攻から始まりました。
中東の国、今は亡きサダム・フセインを大統領とするイラクは10万人の大兵力で隣国クウェートを奇襲を敢行。
イラク軍の50分の1しか兵力のないクウェート軍は成す術もなく、
6時間ももたずにクウェートはほぼ全土をイラク軍に占領されるという事態になりました。
クウェートの首長はサウジアラビアへと亡命。イラク軍はクウェート暫定自由政府という名の傀儡政府をでっちあげます。
これに対し国連安保理はすぐさまイラク軍のクウェート即時無条件撤退を求める決議、そして経済制裁を行う決議で応じました。
イラクがクウェートに侵攻した原因には、それまで続いていた戦争がありました。
8年間にもわたるイラン・イラク戦争はイラクの国土を戦災で覆い、経済を成り立たなくさせようとしていました。
戦争中に多額の債務を負ったイラクは国内唯一といってもいい資源、石油でもって外貨を獲得しなければいけません。
しかし、当時の原油価格は1バーレルあたり15〜16ドルという安値でこれではとても借金を返すどころではありませんでした。
おまけに金を借りていた相手国アメリカは農作物の輸出を渋り始める始末。
更には隣国クウェートが無償援助だったはずの100億ドルの返済を要求してくるわで、
にっちもさっちもいかない状況がイラクを覆っていました。
石油が安くてはどうしようもないイラクはOPECに対して原油価格を引き上げるように求めます。
しかし、OPECはこの訴えをあっさりとスルー。
どうにもこうにも仕様のないイラクはとうとう武力に訴えるという手段に打って出ました。
100億ドルの返済を要求し、おまけに自国と地下で繋がっているかもしれない油田を開発している、
うらみつらみの重なった隣国クウェートの国境に機甲師団を集結させたのです。
当時のイラクはそれまでのイラン・イラク戦争で軍備だけならばイスラエルを除き中東最強といえるものでした。
しかしOPECを構成する他のアラブ諸国は平然とした態度を崩しませんでした。
原油価格はOPECにより1バーレルあたり18ドルから21ドルに引き上げられましたが、それ以外はエジプトが仲介をしようとするくらいでした。
侵攻前日、仲介を勤めていたエジプトのムバラク大統領とパレスチナのアラファト議長が
「イラクのクウェート侵攻は無い」と言っていたあたりからも、戦争は無いという空気が漂っていました。
さて、侵攻から5日経った8月7日。アメリカが大きな動きを見せます。
サウジアラビアに対しアメリカは圧力をかけ、米軍の駐留を認めさせたのです。
これはイラクにとって予想外な出来事でした。イスラム教の聖地メッカを有するサウジアラビアが異教徒の軍隊である米軍を
駐留させるはずがないとイラクは考えていたのです。
アメリカはさらに各国に呼びかけ、多国籍軍を編成します。
アメリカを中心とした総勢50万人の多国籍軍はサウジアラビアのイラク・クウェート国境の近くに軍を進駐させ始めました。
これを「砂漠の盾」作戦といいます。
問題では「盾」という文字が無いので、この砂漠の盾という文字列は作れませんが覚えておくのも悪くは無いかもしれません。
年が変わった1991年。とうとう多国籍軍はイラクへの攻撃を開始します。
QMAではこの湾岸戦争の勃発年を問わせる問題も出題されますが答えはこの1991年ですね。
意外と間違っている人が多い、正解率の低い問題なので覚えておいて損は無いでしょう。
多国籍軍はイラクへの爆撃を開始します。
海からはトマホークミサイルが、空からは爆撃機B-52がイラク本土を叩く大規模な爆撃作戦でした。
作戦名は「砂漠の嵐」。これが問題の答えでもありますね。
爆撃はCNNを通して全世界に実況生中継されました。
ゲームの中の出来事のようにミサイルが当たっていく光景は大きな影響を与え、
欧米では「ニンテンドーウォー」なんて呼び方もできたそうです。(任天堂はテレビゲームの代名詞となっていました)

放たれるトマホークミサイル

砂漠の嵐作戦に参加する米空軍の戦闘機
一ヶ月以上行われた空爆はイラク南部の軍事施設をほとんど破壊しつくしました。
空爆によりイラク軍の力を削いだ次に多国籍軍は地上戦へと突入します。
クウェートを包囲する形でイラク領へと侵攻した多国籍軍はほぼ一方的にイラク軍を撃破しました。
この作戦を「砂漠の剣作戦」といいます。
剣という単語があることから、問題ではこちらを問わせる問題に分岐する可能性も十二分に考えられますね。

破壊されたイラク軍の装甲車
イラク軍はこれによりクウェートを撤退、2月27日に多国籍軍によりクウェート市は解放。
これをもって当時のアメリカ大統領ブッシュ大統領が(言わずと知れた今のブッシュ大統領の父親ですね)停戦を発表しました。
イラクもこれに応じ、サダム・フセインは敗北を認めました。
湾岸戦争と呼ばれた戦争はここで終局を迎えました。
さて、最初の私の誤答「砂漠の狐」ですが、こちらはかの有名なドイツ陸軍元帥ロンメルの渾名です。
こっちは問題があるのかどうか・・・わかりませんが覚えておきましょう。格好良いですしね。
補足
文字列にもある鷲のつく作戦名がないかとグーグル先生に尋ねてみたところ、高貴な鷲作戦というものが見つかりました。
こちらはアメリカのテロ勢力撲滅作戦の名前ですね。
まとめ
1991年の湾岸戦争で、
多国籍軍がイラクを空爆した
作戦は『砂漠の嵐作戦』
おそらく分岐?
→空爆後の地上戦の作戦名、「砂漠の剣作戦」も覚えておくこと。
湾岸戦争の開戦年は1991年。
こちらも四文字問題で出るので覚えておくこと。
以上で第一問目の解説を終わりたいと思います。
砂漠で嵐が吹けば・・・シャロン様のスカートの中も・・・
この問題と遭遇したのは予習の第一問目だったのですが、
のっけから鋭いジャブをロマノフ先生も放ってくれるものです。
砂漠のなんとかだったかな?最後の一文字はなんとなくそれっぽい動物でも選んでおくか。
それ、「砂漠の狐」
ロマノフ曰く
間違いじゃ。
酷いや、ロマノフ先生。
ここからは数十行は読み飛ばしてもらっても構いません。
何せwikipedeia先生の言ってることの転載みたいなものですし、間違っている箇所もあるかもしれません。
答えは最後のほうに簡潔なまとめとして書いておきます。
さて、改めてこの湾岸戦争から見直していきましょうか。
時は1990年。それは突然の侵攻から始まりました。
中東の国、今は亡きサダム・フセインを大統領とするイラクは10万人の大兵力で隣国クウェートを奇襲を敢行。
イラク軍の50分の1しか兵力のないクウェート軍は成す術もなく、
6時間ももたずにクウェートはほぼ全土をイラク軍に占領されるという事態になりました。
クウェートの首長はサウジアラビアへと亡命。イラク軍はクウェート暫定自由政府という名の傀儡政府をでっちあげます。
これに対し国連安保理はすぐさまイラク軍のクウェート即時無条件撤退を求める決議、そして経済制裁を行う決議で応じました。
イラクがクウェートに侵攻した原因には、それまで続いていた戦争がありました。
8年間にもわたるイラン・イラク戦争はイラクの国土を戦災で覆い、経済を成り立たなくさせようとしていました。
戦争中に多額の債務を負ったイラクは国内唯一といってもいい資源、石油でもって外貨を獲得しなければいけません。
しかし、当時の原油価格は1バーレルあたり15〜16ドルという安値でこれではとても借金を返すどころではありませんでした。
おまけに金を借りていた相手国アメリカは農作物の輸出を渋り始める始末。
更には隣国クウェートが無償援助だったはずの100億ドルの返済を要求してくるわで、
にっちもさっちもいかない状況がイラクを覆っていました。
石油が安くてはどうしようもないイラクはOPECに対して原油価格を引き上げるように求めます。
しかし、OPECはこの訴えをあっさりとスルー。
どうにもこうにも仕様のないイラクはとうとう武力に訴えるという手段に打って出ました。
100億ドルの返済を要求し、おまけに自国と地下で繋がっているかもしれない油田を開発している、
うらみつらみの重なった隣国クウェートの国境に機甲師団を集結させたのです。
当時のイラクはそれまでのイラン・イラク戦争で軍備だけならばイスラエルを除き中東最強といえるものでした。
しかしOPECを構成する他のアラブ諸国は平然とした態度を崩しませんでした。
原油価格はOPECにより1バーレルあたり18ドルから21ドルに引き上げられましたが、それ以外はエジプトが仲介をしようとするくらいでした。
侵攻前日、仲介を勤めていたエジプトのムバラク大統領とパレスチナのアラファト議長が
「イラクのクウェート侵攻は無い」と言っていたあたりからも、戦争は無いという空気が漂っていました。
さて、侵攻から5日経った8月7日。アメリカが大きな動きを見せます。
サウジアラビアに対しアメリカは圧力をかけ、米軍の駐留を認めさせたのです。
これはイラクにとって予想外な出来事でした。イスラム教の聖地メッカを有するサウジアラビアが異教徒の軍隊である米軍を
駐留させるはずがないとイラクは考えていたのです。
アメリカはさらに各国に呼びかけ、多国籍軍を編成します。
アメリカを中心とした総勢50万人の多国籍軍はサウジアラビアのイラク・クウェート国境の近くに軍を進駐させ始めました。
これを「砂漠の盾」作戦といいます。
問題では「盾」という文字が無いので、この砂漠の盾という文字列は作れませんが覚えておくのも悪くは無いかもしれません。
年が変わった1991年。とうとう多国籍軍はイラクへの攻撃を開始します。
QMAではこの湾岸戦争の勃発年を問わせる問題も出題されますが答えはこの1991年ですね。
意外と間違っている人が多い、正解率の低い問題なので覚えておいて損は無いでしょう。
多国籍軍はイラクへの爆撃を開始します。
海からはトマホークミサイルが、空からは爆撃機B-52がイラク本土を叩く大規模な爆撃作戦でした。
作戦名は「砂漠の嵐」。これが問題の答えでもありますね。
爆撃はCNNを通して全世界に実況生中継されました。
ゲームの中の出来事のようにミサイルが当たっていく光景は大きな影響を与え、
欧米では「ニンテンドーウォー」なんて呼び方もできたそうです。(任天堂はテレビゲームの代名詞となっていました)

放たれるトマホークミサイル

砂漠の嵐作戦に参加する米空軍の戦闘機
一ヶ月以上行われた空爆はイラク南部の軍事施設をほとんど破壊しつくしました。
空爆によりイラク軍の力を削いだ次に多国籍軍は地上戦へと突入します。
クウェートを包囲する形でイラク領へと侵攻した多国籍軍はほぼ一方的にイラク軍を撃破しました。
この作戦を「砂漠の剣作戦」といいます。
剣という単語があることから、問題ではこちらを問わせる問題に分岐する可能性も十二分に考えられますね。

破壊されたイラク軍の装甲車
イラク軍はこれによりクウェートを撤退、2月27日に多国籍軍によりクウェート市は解放。
これをもって当時のアメリカ大統領ブッシュ大統領が(言わずと知れた今のブッシュ大統領の父親ですね)停戦を発表しました。
イラクもこれに応じ、サダム・フセインは敗北を認めました。
湾岸戦争と呼ばれた戦争はここで終局を迎えました。
さて、最初の私の誤答「砂漠の狐」ですが、こちらはかの有名なドイツ陸軍元帥ロンメルの渾名です。
こっちは問題があるのかどうか・・・わかりませんが覚えておきましょう。格好良いですしね。
補足
文字列にもある鷲のつく作戦名がないかとグーグル先生に尋ねてみたところ、高貴な鷲作戦というものが見つかりました。
こちらはアメリカのテロ勢力撲滅作戦の名前ですね。
まとめ
1991年の湾岸戦争で、
多国籍軍がイラクを空爆した
作戦は『砂漠の嵐作戦』
おそらく分岐?
→空爆後の地上戦の作戦名、「砂漠の剣作戦」も覚えておくこと。
湾岸戦争の開戦年は1991年。
こちらも四文字問題で出るので覚えておくこと。
以上で第一問目の解説を終わりたいと思います。
砂漠で嵐が吹けば・・・シャロン様のスカートの中も・・・
コメントの投稿
« 9月18日本日の戦果 l Home l タイトルなし »



http://puripuritan.com/h-pre/x0gg8iq/
これでようやく借金完済できるわ(笑)